(塩崎恭久氏から児童福祉への思いを伺いましたので、その一端をご紹介します)

 

児童福祉に思いをかけて ー新たな立場で、より良き国と地域を目指すー

塩崎恭久氏

 

◆児童の養護、社会的養護への問題意識(厚労大臣就任前)

 

① 子どもこそが日本や世界の未来を創り、新たな社会を担っていく。

政治は、子どもたちを通じて未来を切り拓く責任を負っている。

 

② その子どもたちは、「家庭の愛」によってのみ健全に育つ。

だから、より良い家庭環境を、それが叶わないなら、それに準じた最良の家庭と同様の環境をできるだけ多くの子どもたちに用意することが政治の使命だ。

 

③ 政治が動かない限り、子どもの望ましい養育環境は、社会の隅々まで浸透した前提条件にならない。

子どもたちの声はいつも「声なき声」であり、直接政策陳情できず、大人がその声を正確に代弁しなければ、子どもたちの権利も養育環境も守られない。

児童養護サービスを提供する側や、関連政策をつくる所管官庁の「供給者=大人」優先の目線や論理に代え、「需要者=子ども」優先の目線と論理を代弁する仕組みをどのようにしてつくるのか、そのためには大きな政治エネルギーと意志が絶対に必要となる。

 

◆児童養護問題への気づき

 

きっかけは

平成10年(1998)頃に愛媛県宇和島市の児童養護施設「みどり寮」の理事長から児童養護施設の話を聞いたこと。

 

児童養護施設に入所している子どもたちの半数は、家庭での虐待が原因と知り、衝撃を受ける。

速やかに、「児童養護を考える会」、「児童の養護と未来を考える議員連盟」などの勉強会を創設し、議論をリード

 

機会あるごとに全国各地の児童養護施設を訪問し、実情把握を続けていた。(大人目線)

 

当初は、施設職員の配置基準の改善、心理専門職の配置策導入等を中心に考えていた。

 

しかしある時、要保護児童問題に詳しい方の発言にハッとし、気づきがあった。

日々の暮らしの中で「家庭」という「温もりの連続性」がない生活をしているのが施設の子どもたち。

特定の大人とのかけがえのない温かい関係の中で愛着を育むことが難しい状況をいかに打開するかが本当の課題と

 

◆「児童福祉法」改正を巡る闘い

 

平成26年(2014)厚生労働大臣に就任(第2次安倍改造内閣)

通常の厚労省アジェンダ+個人的な「こだわりのアジェンダ」として「がん対策」「認知症対策」「障がい者施策」「児童養護」を挙げ実現を誓った。

 

大臣就任後、専門家たちとのブレイン・ストームで衝撃と政策課題についてのヒントを得た。

・戦後の児童養護の歴史は『浮浪児対策』のまま

・子供の権利主体性の明確化(1947年から抜本改正されない児童福祉法の改正問題)

・人間の発達において重要な「愛着関係の形成」

 

1989年国連「児童の権利条約」採択

 

1994年日本が「児童の権利条約」批准

⇒しかし批准に伴う一切の国内法の改正を行わず

 

「(子供の権利については)わが国の憲法をはじめとする現行法制ですでに保障されている」(政府見解)

⇒批准後四半世紀にわたり、民法で強固な権利として規定されている「親権」に対し、子どもの権利主体性が存在しないアンバランスを是とする姿勢を取り続けた。

 

◆「児童福祉法」改正を巡る闘い その2

 

法改正にあたり「保護中心」から「養育中心」へ、明確に法律に位置づける

 

⇒すべての子どもは適切な養育を受け、健全に育つ権利があり、その自立が保障されるべき

・「子どもの権利」の明文化をめぐる攻防

・ 子どもの「意見表明権」をめぐる攻防

・「家庭養育優先原則」をめぐる攻防

 

◆里親に挑戦 年齢制限がないなら「やろう」

 

里親は、虐待や経済的な理由など、様々な事情で実の親と一緒に住むことができない子どもたちを自宅に迎え入れ、一定期間一緒に暮らす制度

 

議員時代、一貫して「児童養護」の問題に関心を持ち続け、厚生労働大臣の時に児童福祉法の改正、関連の法整備をすすめてきた

 

議員を辞める前、地元愛媛の児童相談所に行き、里親の年齢制限について尋ねると、「年齢制限はない」と聞き、「じゃあやろう」と。

 

令和3年秋、28年間にわたる国会議員生活に幕を下ろし、里親になるための研修を受け、里親登録を済ませた。

 

(注)上記記載内容は塩崎氏から伺ったことをもとに簡略化して記載していますが、文責は当会にあります。