「小さな村g7サミット」

~全国7つの小さな村が挑んだ遠隔型連携 

小村幸司 NPO法人小な村総合研究所代理事

 

月刊『地方財務』(ぎょうせい)20232月号掲載 「遠隔地連携と自治体」⑪


  2016年5月に産声をあげた「小さな村g7サミット」は北海道から、東北、関東、近畿、中国、四国、九州と、各地域で最も人口の少ない「一番小さな村」(離島をのぞく中山間地)の連携によるもので、山梨県丹波山村の呼びかけではじまった。かつて私は地域活性化を取材する側であり客観的に見ることも出来たと思うが、この遠隔型連携に関して私はその当事者であり出来そうにない。ただ生々しい記録は書き残せるかもしれない。「小さな村」を逆手にとった試みはいくつもの山あり谷あり川ありを迎えた。その中間報告である。貴重な機会を与えていただいた先輩諸氏には感謝申し上げたい。 

 

小さな村g7サミット(新庄村)

●丹波山村発「小さな村g7サミット」

    大文字でなく小文字の「g7」サミット

山梨県丹波山村は村民わずか534人の小さな村である。村内を流れる丹波(たば)(がわ)は=多摩川であり、その語源ともいわれている。川の両岸には急峻な山々がそびえ総面積の97%は森の村である。そんな小さな村で、2016年、伊勢志摩で開催された「G7サミット」に先んじて行われたサミットがある。その名も「小さな村g7サミット」。ただし大文字の「G」でなく小文字の「g」。北海道、東北、関東、近畿、中国、四国、九州と、丹波山村と同じく中山間地で、最も人口の少ない7つの村が集い、3日間にわたりサミットを行った。少しユーモラスな名前の取組みだが、テーマに「移住」を掲げ、基調講演には「里山資本主義」がベストセラーとなった藻谷浩介氏を招聘した。7つの小さな村の村長や若手移住者たちが率直な意見交換をおこない全国に向けての情報発信も行った。以降、第2回は福島県檜枝岐村、第3回は北海道音威子府村、第4回は和歌山県北山村、コロナ禍による2年の延期を挟んで、第5回は2022年に岡山県新庄村にて開催している。

 

 

丹波山村より小さな村での気づき

「g7」が頭に浮かんだのは2014年6月のことだった。私が山梨県丹波山村の地域おこし協力隊として東京から移住して3カ月ほど経った頃だ。たまたま伊勢志摩が「G7サミット」の候補地となったテレビニュースを見て、「G」が「g」になって全国から7人の村長が集まってサミットを開いたらどうだろうかと夢想した。まずは全国の小さな村を訪ね歩いたのだが、丹波山村よりも人口の少ない村を訪ねたときにある気づきが生まれた。人口の多い村での取組みには「仕方ない。人も多いし予算も大きい。」と勝手に納得していたのだが、丹波山村より人口の少ない村には「なんでこんな取組みが出来るのだろう。」と悔しさを覚えたのだ。その「悔しさ」に自分でもはっとした。つまり小さな村の方が相手に与える刺激やインパクトはむしろ大きい、ということだった。大相撲の小兵力士が周りの力士を奮起させるようなものかもしれない。「小さな村」を逆手に情報発信出来たらという思いから、小さな村が元気になることで、その周りの村や町が、あわよくば日本が元気になるかもしれないと思えるようになった。

 

 

g7プレサミット in 丹波山村

 

丹波山村で本開催する前年、2015年10月に実は各村担当者を招いたプレサミットを開催している。6つの村も半信半疑だが当の丹波山村も半信半疑だったからだ。各村からサミット担当者1~2名に参加してもらい村長から担当者へ「6村長への招聘状」を手渡すセレモニーを行った。村民の前で各村担当者に挨拶をしてもらったのだがトップバッターだった音威子府村の職員が村の実情や思いを語りはじめたことで他村の担当者も続きぐっと一体感が生まれた。講師を招いての勉強会や、7村の特産品を道の駅で販売するなど、このプレサミットがその後のサミットのほぼ原型となっている。本サミットの時にはすでに同窓会のような雰囲気さえ生まれていた。

 

小さな村g7サミット後の反響と展開

小さな村g7サミットとメディアの反応

2016年5月に開催された第1回小さな村g7サミットは新聞やテレビで大きく取り上げられた。共同通信の記事からは全国の地方紙やネットメディアへと次々と拡散した。NHK甲府放送局のアナウンサーは東京転勤後にもその後の活動を2度にわたり取材してくれている。彼の熱意がなければ番組にはならなかっただろう。取材してくれた記者たちには今も感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

首長会議で決まった合意事項と国への報告

村長らが一室に集まって開いた首長会議で決まった事が幾つかある。次年度以降も7村が持ち回りで順次開催してこと、そしてこの取組みを国へも届けようということだった。後日、丹波山村長と北山村長の二人が代表して内閣府を訪ねることになり当時の石破地方創生大臣に報告することが出来た。この首長会議で決まったもう一つの合意事項がある。それは丹波山村に7村の連携を推進するためのNPO法人を設立することだ。首長会議の進行役をつとめた当時の副村長がそっと仕掛けたことだったが後で話を聞かされ驚いた。この一幕はNHKで放送までされた。設立準備中だったNPO法人の目的が、丹波山村の活性化だけでなく、7村の連携推進にまで及ぶことになった。

 

NPO理事による全村視察と民間交流

 

2017年1月にNPO法人を設立し、まずおこなったのが理事による他村の視察だ。私以外の10人の理事が2~3人のグループをつくって6村すべてを表敬訪問した。2人の役場職員だけでなく8人の自営業者たちが訪ねたことに意義があったと思う。6村からすれば驚きもあったろう。視察ではもちろん他村の優れたところも学ぶのだが、自村の恵まれた環境にも気付かされるきっかけにもなる。これは毎年のサミットでも同じことが言えるだろう。こうした民間交流が、その後、丹波山村の正月祭「御松曳(おまつひき)に、岡山県新庄村の青年団を招き伝統の4人餅つきを披露してもらうなどさらなる民間交流に繋がった。村会議員の視察先としても新庄村や北山村や音威子府村を訪ねるなど議員交流にも繋がっている。

 

丹波山村よりも小さな村から学んだこと

 和歌山県北山村~特産品じゃばらとふるさと納税

特産品販売で他村を圧倒しているのが和歌山県北山村だ。人口わずか411人の村の特産品は柑橘「じゃばら」で関連商品の売上は年間3億円以上、小売り業者への卸販売や通販業務のノウハウも確立している。2016年から本格的に取り組んだふるさと納税は同年に1億8000万円を超えた。同時期の丹波山村は80万円ほどでその意識も希薄だった。北山村の担当職員に頼んで丹波山村でレクチャーを行ってもらったが、これが村のノウハウと意識を変えたといっていい。丹波山村の受入額は2020年に6000万円を超え右肩あがりで推移している。北山村の快進撃はその後も凄まじく2021年の受入額は9億円に迫る。人口一人あたりの受入額は日本一だ。3年前に株式会社化し当時の担当職員は代表取締役となった。和歌山県内7自治体のふるさと納税業務まで引き受け今や社員は27人。2023年4月には2人の大卒新人を採用する。小さな村の巨人だ。

 

高知県大川村~手作りイベント「謝肉祭」で心動かされたもの 

7村を訪ねる中で特別に心動かされた手作り観光イベントがある。毎年11月3日に高知県大川村で開催される「謝肉祭」だ。はじまりは村の特産品に育てた黒牛を村民に味わってもらうためだったが、豪快な「黒牛の丸焼き」がメディアで話題となり四国他県や関西からも人が集まる一大観光イベントに成長した。バーベキューの参加チケットはなんと6000円だが、その1500枚が3カ月前の販売日に完売してしまう。2017年に手伝いとして参加させてもらったのだがこの祭りの凄さを目の当たりにした。村民の半数を超える200人以上が観光客をもてなすのだ。ステージの大きな背景画は青年団の手作りで、その絵のアイディアは小学生から募集する。野菜を切り分けテーブルに運ぶのは中学生たちだ。もっと参加者をもてなしたいと高齢者の特産品づくりにも繋がった。旅行代理店の人気ツアーとなっていて観光バス20台近くになるのだが、帰り際になるとバスに向かって手をふるように役場職員が声をかけて回る。この光景を見せられてファンにならないわけがない。小さな村g7サミットの2023年の開催地は大川村で「謝肉祭」と同時開催することが決まった。必ず6つの村に大きな刺激を与えてくれるだろう。

 

繋がっていく小さな村の子供たち

大川村は山村留学や子供予算など積極的な教育施策に取組んできた村だが、教育長からの熱心なアプローチで大川村と丹波山村の中学生によるオンライン合同授業が実現している。やがて7村にも広がるだろう。いつかの日か7村の小中学生が集まる「こどもサミット」が出来たらと思う。

  

 

7つの小さな村の首都圏拠点事業

東京での情報発信につながる意外なきっかけ「たばやま村民タクシー」

NPO設立時に村からの依頼を受け、先進事例を視察し2017年12月から運営を始めたのが「たばやま村民タクシー」だ。分かり易くいうと村民の自家用車を使ったタクシー(公共空白地有償運送)で、すでに全国の自治体で導入され決して目新しくはないのだが、たまたま山梨県内では初めてで賛同したドライバーが50名以上いたことから県内のメディアから次々と取材を受けた。なかでもNHK「おはよう日本」で全国放送された反響は大きく、産官学からの様々なアプローチが首都圏や海外からも届いた。そこである共通点に気づく。彼らはプレイヤーであり、キーマンであり、何か新しいアイディアに取組み、何かを探している人たちであり、たまたま小さな村からの情報発信に可能性を見出した人たちだった。

 

首都圏産官学キーマンからの逆アプローチプロジェクト

小さな村を飛び出して東京で積極的な情報発信をおこない、アイディアをもった首都圏キーマンからの「逆アプローチ」を待ち受ける拠点オフィスを構えるのはどうだろうか。そう考えて村に提案したのが「首都圏拠点事業」だ。数年に渡り自らのアイディアを東京に持ち込んでもなかなか上手くいかなかった反省もあった。さらにお願いしたのは丹波山村だけでなく連携する6村のことも一緒に情報発信させてもらうことだった。g7サミットの懇親会で村長たちから聞いた「東京でも情報発信してほしい」という言葉もどこか引っかかっていた。7村で情報発信することで発信力は大きくなるという確信もあった。事業費は地方創生推進交付金を村から申請してもらった。

 

東京渋谷での情報発信から生まれた逆アプローチ

 

20199月、東京渋谷で「小さな村g7サミット東京会議」を行った。7村長と20代の若者たちとの意見交換と情報発信を狙った特別サミットだ。7村それぞれが東京にもつネットワークもお互いに紹介しあうことができた。北山村から紹介を受けた日本地図センターからは月刊誌の原稿依頼を受け7村担当者の共同執筆による24ページに及ぶ特集記事に繋がった。サミットの様子はテレビ取材され放送当日にメールをくれたのが大田区にある予防医療ベンチャーだった。丹波山村役場へとつないで半年後、コロナ禍が襲い高齢者向けのデイサービスが困難となる中で、健康体操などの映像コンテンツをケーブルテレビで毎日放送することに繋がった。後にわかるのだが、親会社は全国に420店舗を構える薬局チェーンで、東京23区10店舗における特産品販売が実現した。利用者が激減する村営温泉と組んで企業向けのワーケーション事業を立ち上げ都内10社の法人会員の獲得にまで貢献してくれている。

 

首都圏拠点オフィスとショップを構えるまで

7つの小さな村の首都圏拠点オフィス

予定の10月を過ぎても見つからずにいたのが拠点オフィスだった。丹波山村は多摩川源流にある村で「水のつながり」を東京ではアピールしたいと思い、拠点オフィスは河口域の大田区と決め探していた。大田区には羽田空港もあり7村のハブとしても都合がよい。国際空港でもありインバウンドの可能性まで見えてくる。100軒以上の物件を見て歩いたが駅近の物件を予算内で探せずにいた。ほぼノイローゼになりつつ夫婦喧嘩が絶えなくなる中、嫁が探してきたのがJR蒲田駅ビル「グランデュオ蒲田」のイベントスペースだった。「探しているのはオフィスだよ。」と思いつつ、駅ビル担当者と会うことになり、ここから奇跡が巻き起こる。提案されたのは一階フロアの空きスペースで周りは「新宿高野」「文明堂」「東京ラスク」という有名店ばかりだった。「駅ビルはどこも同じに。何か新しい試みを。」という担当者は物腰柔らかくも面倒をいとわずゼロからイチを生もうする熱き若手社員だ。アンテナショップはやらないと決めていたが心動かされそうになり、それでも2度目の打合せで「本当に探しているのはオフィスなんです。」とやんわり断ると、同席した上役から「屋上階に10坪ぐらいの旧写真スタジオがありますよ。」という奇跡の提案が降臨した。「グランデュオ蒲田」はジェイアール東日本商業開発が運営するJR東日本グループの1つであり、駅ビル内にオフィスを設置させるというのはグループ内でも初めてのことで前例はなかった。これが八王子、国分寺、吉祥寺など中央線沿線の各駅で特産品のマルシェイベントを行うことや、西東京や山梨を管轄するJR東日本八王子支社との関係も生まれるきっかけとなった。

小さな村g7 TOKYOショップ(2020

 

小さな村と都市による「小さな村g7+1サミット」

コロナ禍の緊急事態宣言を乗り越えて

20204月、7村の特産品を販売する「小さな村g7TOKYOショップ」を意気揚々とオープンさせたものの、わずか一日で緊急事態宣言となり、2ヶ月もの休業を余儀なくされた。情報発信の要と考えていた都内23区でのイベント参加も10区ほどまでに広がったところで断念せざるを得なくなった。

 

大田区内でのコラボからまさかの逆アプローチ

悩みに悩んで見つけた活路が、大田区内の本屋、花屋、弁当屋、地域活動するNPOとのコラボで、本当に地味で地道な情報発信だった。その活動の一端を、たまたまテレビで見たという人から逆アプローチがあった。まさかの松原大田区長である。産業経済部長から電話を受けたのは放送日翌日のことで、2日後には区長自らがグランデュオ蒲田のショップを訪れた。産業経済部との意見交換を経て、区長からの電話が丹波山村の岡部村長に届き、村長からは連携する6村長へとんとん拍子に電話が繋がった。

 

小さな村g7+1サミット in 羽田イノベーションシティ

2021年79日、小さな村g7サミットに大田区を+1として加えた「小さな村g7+1サミット」が特別開催されることとなった。会場は羽田空港そばにある大田区肝煎りの「羽田イノベーションシティ」。この施設が地方創生への寄与という目的も大田区としてはあったことから、単刀直入に全国町村会とのつながりはないかと相談された。これも不思議なご縁で、たまたま1年前に開催された地域おこしイベントの会場が全国町村会館で、事務総長とは名刺交換しており前年の「小さな村g7サミット東京会議」にもご招待したばかりだったのだ。大田区職員と全国町村会を訪ねた時の事務総長の挨拶は今も忘れない。

「地方と都市が奪い合う時代じゃない。人も分かち合うべき。都市のことも地方のこともやる人がいていい。その先駆けに一番小さな村々がなってくれた。」

 

こうして「小さな村g7+1サミット」は大田区と全国町村会とを繋ぐきっかけにもなった。ここまでの展開となるまでに実は感謝してもしきれない人たちの存在がある。私が勝手に「隠密同心」と呼んだ都庁OBと大田区OBのお二人だ。どの資料にも恩人たちの名はないが改めて感謝したい。

小さな村g7+1サミット参加首長 (2021)

多摩川を通じた小さな村と都市の繫がり

丹波山村と大田区のその後のつながり

2022年5月、大田区から、大田区長、教育長、産業経済部長、区長室長ら6人が丹波山村を訪ねてくれたことは村にとって一つの大きな自治体連携の成果と言えるだろう。教育連携もはじまり、6月末には丹波小学校5~6年生の3人が臨海学校のプログラムとして大森東小学校を訪れ6年生30人と交流授業を行った。村では大田区とのオンライン会議や森林環境譲与税についての検討も始まっている。

 

小さな村と都市との森と水の物語 林業官吏・中川金治

 

ここまで多摩川にこだわるのには理由がある。100年ほど前に、東京府から丹波山村へ派遣された林業官吏・中川金治さんの物語を知ったからだ。伝染病や災害などから東京の水を守るために荒廃した多摩川源流域の森林蘇生に努めた人である。小さな村と都市との軋轢の中で窮地に立たされた村人を支え共に木を植えた。東京から村へ帰るたび子供たちに童話の本や絵本を手渡していたようで「山のお爺」と親しまれたそうだ。蘇った森の水は東京の子供たちの命を救い、東京の近代化や都市化を支えたと言っていい。この森と水をめぐる物語にとりつかれた。小さな村g7の村々も、北は天塩川、南は川辺川まで、大切な川を通じて都市と繋がっている。

 

小さな村のエゴでもなく、都市のオゴリでもなく

東京での活動をはじめたばかりの頃、JR南部線の車内広告をみて衝撃を受けたことがある。「ふるさと納税がわが自治体の財政を悪化させています。」という内容のアンチキャンペーンだった。小さな村や地方のエゴなのか。一方で都市のオゴリはないだろうか。日本の自給率は38%。都市だけでは生きていけない。g7+1サミットの企画書にはこう書いた。「小さな村と都市がお互いの暮らしを尊重し、お互いに行き来して、ヒトやモノを分かち合い、足りないものを補い合う。」小さな村と都市は助け合い相互補完すべきだと思う。

 

7つの小さな村の連携とこれから

第7回サミットは2024年に熊本県五木村で

小さな村g7サミットは2024年に熊本県五木村で開催することまでが決まっている。その後は未定だ。必ずしも続けなければとは思わない。第7回サミットを終えれば一つの役割は果たせるかとも思う。その後も7つの村はゆるやかに繋がっていけば良い。

 

地域活性化で大切な「寛容性」

地方創生の先進地で地域活性化を見つめ直すきっかけとなった町がある。都市企業のサテライトオフィスで注目を浴びた徳島県神山町だ。人口6000人の小さな町には移住希望者が後を絶たない。20年以上前に小学校のPTA会長ら町民有志が挑んだのが、国内外から美術作家を募集したアーティスト・イン・レジデンスで、そもそもは町の子供たちに町の外に目を向けさせようという親心から始まった。すると作品を観に大勢の観光客や若者たちが訪れたことで町の中に他者への「慣れ」が生まれ「寛容性」が育まれた。やがて何かの縁で町を訪れた人たちがその「寛容性」に魅了され移り住むようになる。人や企業が集い地域活性化は有機的に広がっていった。町のキャッチフレーズは「やったらええんちゃうん」。若者や移住者や新たな試みに対する町の姿勢を象徴する言葉だ。

 

小さくても閉じない 小さな村が日本を元気に

 

「小さな村g7サミット」の取組みが、もしも誰かの好奇心に触れ7つの小さな村のことを知るきっかけに、あるいは7つの小さな村に「寛容性」を感じるきっかけになったとしたら嬉しい。この6年あまり丹波山村では自治体や大学から視察やフィールドワークが増えた。村内での起業は10社を超え、地域おこし協力隊OBが、ライダーズカフェ、ジビエ、林業、高齢者福祉など地域課題に向き合うスモールビジネスやソーシャルビジネス、村出身の40代が公共インフラを補う会社などが生まれている。20代や30代の若者たちの移住者も増えている。わずか534人の村に起きている大きな変化だ。小さな村だからこそ村づくりに直接的に関われるというのも魅力かもしれない。7村での変化が共有されていけば「寛容性」はもっと広がっていくだろう。将来的には7村でワーケーションしたいと考える企業や、7村で暮らしてみたいと思う移住者がいても良い。7つの村だから出来ることもあるに違いない。小さくとも閉じることなく7つの小さな村が日本を元気づける存在であってほしい。

著者紹介

      小村幸司 こむらこうじ

1965年生まれ 長崎大学経済学部卒業 旧三菱銀行勤務を経てテレビディレクターに。経済、教育、海外等のドキュメンタリー番組に携わる。

 

2014年に山梨県丹波山村の地域おこし協力隊として東京から移住。2017年にNPO法人小さな村総合研究所を村民10名とともに設立した。